【通院のはずが即日入院】ばあちゃんと病院を巡って学んだこと

昨日は仕事を休み、同居のばあちゃんの通院介助に付き添った。

車いすのブレーキ確認、動線の確保、段差の超え方。

動作一つひとつに、昔デイサービス介護員として送迎していた頃の感覚がふっと戻ってきた。

身体は覚えているものである。

受付を済ませ、採血と受診。

検査が終わるたびに「今日はこのまま帰って昼寝だな」と心のどこかで安堵していた。

なんなら採血から受診の間でうたた寝しちゃってたし、マスクの中ではよだれがダラダラである。

だが、結果はよろしくなかった。

血液状態が悪いので、即日即入院決定。

医師からの話を聞いてからは早かった。

入院手続き、病棟への移動。

通院のつもりが、その日のうちに入院である。

容体が落ち着けば自宅に戻れるかもしれない。

しかし経過次第では、終末期のケアに強い病院(母が勤務している病院)へ転院の可能性もある。

選択肢が並ぶほど、心は揺れる。

だが、そのどれもが「ばあちゃんが少しでも楽であること」を起点に組まれているのだと、説明を受けながら静かに理解した。

思えば、数日前に「家族の介護に後悔のない関わりを」と決意表明のブログを書いたばかり。

言葉にした直後に現実がぐっと近づいてきた。

だからこそ、やはり大切な人とは、会えるときに会い、手が届く距離で関わることが大事である。

あとで“もっとああしていれば”と悔やむより、今できる小さな実務と声かけを一つでも増やす方が大切なのだろう。

入院に際して、家で洗った前開きのパジャマ、一応上靴、薬。

必要なものを家から持っていく。

面会は短くとも、手を握って体温を確かめるだけで、互いに落ち着く。

介助はしばらくお休みになるが、顔は見に行こうと思う。

出来ていたことが出来なくなる姿を前にすると、言葉は細る。

だが、無力ではない。

姿勢を整える、枕を直す、水を一口、背中をさする、医師の言葉を家族に橋渡しする。

家族の介護とは、そんな小さな“楽”を積み重ねる仕事である。

そして同時に、自分の生活も整えていきたい。

食べる、眠る、相談する。

介助者がすり減れば、支えは薄くなるものだ。

帰り道、病院の駐車場で空を見上げた。雲が早い。

ものごとは予定どおりには進まないものだ。

だが、だからこそ、いま出来ることを丁寧に。

ばあちゃんが少しでも楽であるように。

次の面会までに、また必要なものをメモに起こしておこう。

今日の出来事をここに記して、心を落ち着ける。

色々と、心の準備をしなきゃいけない時期に来た。

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