すごいことに気づいたのかもしれない。
若い頃、「若いうちの大変なんて、年を取ったらもっと大変になるぞ」と説教してくる“おじさん”に反発していた。
36歳になった今、役職も増えて重要な決定が確かに多くなったのは事実だ。
それでも、おじさんたちの言い方にはやっぱり違和感が残る。
若い人だって大変だ。
むしろ別の角度から見れば、若さゆえに背負っている重さがあるのではないか——
そんなふうに考えていたら、ふっと腑に落ちた。
結論から言うと、複利で考えれば、若いときの決断ほど小さく見えて実は重い、ということだ。
株と同じで、時間は選択の影響を増幅する。
50代での決断が80歳までに及ぼすのは30年。
けれど、10代・20代で決めたことは、50〜60年という長い時間を通して効いてくる。
進学先、最初の職場、住む地域、一緒に過ごす人たち、それ以外にもささいな悩みでも——
どれも当時は「とりあえず」で選んだつもりでも、その後の機会や出会い、価値観の形成に連鎖していく。
だから若い人が一つ決めるときに必要なエネルギーは、外から見える以上に大きい。
年上の目には「そんなの簡単」と見えても、残り時間の長さを掛け算すれば、その選択はまったく“軽くない”。
自分が10代・20代の頃、年長者の「正解」を押し当てられるのが苦手だった。
というか、今でも苦手だ。まじで。
いま思うのは、経験値があるほど結果をショートカットして語りたくなるが、それは若い人から学習と試行の機会を奪うことにもなりうる、ということだ。
必要なのは断定ではなく、選択肢を一緒に考えることではなかろうか。
失敗のコストを下げる設計を手伝う。
否定から入らない、期限を決める、戻り方を決める——
この三つだけで、若い決断はずっと前に進みやすくなる。
年齢を重ねて決定事項は増えた。
けれど、若い人の悩みを軽く扱う理由にはならない。
むしろ、時間の複利を知っている側として、焦らせず、選び方とやめ方を一緒に考える責任がこちらにある。
かつて自分がかけてほしかった言葉を、今度は渡す側に回る。
そのための覚え書きとして、この考えをここに残しておく。
若い決断は重い。だからこそ尊重し、伴走する。そういう大人でありたい。
