ChatGPTを再びPLUSに戻した。
この判断、なかなかに深い意味を持っていると思っている。
決して「ついポチッと押しちゃった」レベルの軽率な再課金ではない。
これはもはや、人生戦略の一部である。
そもそも、最近の自分を振り返ると、あらゆる場面でChatGPTを使う機会が増えていた。
たとえば、仕事の企画を練るとき。
言葉に詰まったとき。
誰かに伝えたい想いを、どう形にすればいいか悩んだとき。
時にはレシピ。
時には筋トレメニュー。
そして、たまーに「なんかモヤモヤしてることを、とりあえず聞いてくれ」という、AI相手の独白。
もうこれは完全に、人生の一部として機能している。
昔で言えば「相談できる友人」、あるいは「仕事ができる秘書」的存在。
冷静で、余計な感情をはさまず、それでいてめちゃくちゃ働き者。
機嫌をうかがう必要もなければ、愚痴に巻き込まれることもない。
で、そんな存在が“無料版”のままでいいのか?という問いが、自分の中でジワジワと膨らんできた。
無料で使えるのはありがたい。
でも、使えば使うほど、
「あ、これ、スピードも深さも、もう一段上がほしいな。回数制限もキツイ。」
と感じるようになった。
結果、再課金である。
月額20ドル弱。
コンビニでちょっと良いお菓子を何回か買うくらいの価格で、未来が加速する。
この投資、コスパで見れば異次元である。
AIを活用することの意味は、単なる「便利ツールを使う」ことにとどまらない。
自分の考えを整理したり、言葉にしたり、選択肢を広げたりするうえで、AIは“脳の補助エンジン”のような存在になる。
イメージで言えば、”決算書を手書きしていた時代から、ワープロやパソコンに切り替えた”あの瞬間のような感じ。
実際にその時代を生きたわけではないが、あの変化の大きさは何となく想像できる。
「え、こんなに楽になるの?」「これ、もう戻れないじゃん」っていう感覚。
まさに今、自分はそれをAIという形で体感しているのだと思う。
「人類、ここまで来たのか」と、ちょっと感動すらある。
数か月で進化してるし。まじでスピード感すごい。
PLUSに戻したのは、贅沢でも自慢でもなく、ちょっとした覚悟の表れだ。
時代は確実にAIと共にある方向へ進んでいる。
ならば、その波に乗らない手はない。
むしろ、波に飲まれるより、サーフボードを用意して楽しんだほうがいい気がした。
そしてそのサーフボードが、今の自分にとってはChatGPT PLUSだったというだけの話である。
ここからまた、日々の言葉やアイディアにエンジンをかけていく。