“あとで読む”アプリの代表格であったPocketがサービスを終了すると通知があった。
情報収集好きにとって、この知らせは寝耳に水。
RSSリーダーと連携し、自分の興味関心に刺さる記事をとりあえず放り込める。
そんな使い方が、私の日常にすっかり根付いていた。
スマホの隅に鎮座していたアイコンが、まるで思い出のアルバムのように見えてくる。
消えてしまうのが寂しくて、最後にPocketで読んで
「これは残しておきたい」
と思った記事を振り返ってみることにした。
以下に紹介するのは、特に印象に残った5記事である。
日常の中で、思考の支えになったり、新しい視点をくれたりしたものばかりだ。
バンド海外ツアーは働きながらできるのか?
バンド活動と仕事。
音楽を続けたいと思いながらも、生活や将来への不安を抱え、どこかで「これは現実的じゃない」と諦めてしまう人も少なくない。
しかし、働きながら音楽活動を続けることは本当に「不可能」なのだろうか。
自分が働きながら音楽活動をする上で指針にしているのが、インストバンドLITEのベーシスト・武田信幸氏によるトークイベントのレポート、「バンドを続けるという生き方」という記事だ。
彼は、行政書士という本業を持ちながら、バンドとして海外ツアーにも出ている。
日本の企業社会にいながら、定職を持ちながら、ワールドツアーをこなす。
その事実に驚かされた。そ
して何より、「音楽活動を続けること」と「働くこと」は両立できるのだという希望を与えてくれた。
企業に勤めていても、バンドはできる。
本業があっても、海外にライブをしに行ける。
そんな実例が実在しているということ。それがどれほど心強いか。
何より、彼自身が「バンド活動を継続させるために、自分にとって一番いい働き方を模索してきた」と語っていたのが印象的だった。
仕事も音楽も、どちらも削らず、持ち続ける。
それはきっとわがままなんかではなく、覚悟のいる「選択」なのだ。
実際、わたし自身がイタリアツアーを決めたときも、この武田さんの話に背中を押してもらった部分が大きい。
「やってみよう」「やっていいんだ」と思えた。
挑戦の一歩目には、誰かの経験と声が必要だ。
結局のところ、音楽活動を続けるかどうかを決めるのは、環境でも才能でもない。
自分自身が「続けたいかどうか」なのだろう。
武田さんのような生き方が存在するという事実は、音楽を諦めかけている誰かにとっての光になる。
このトーク記事は、まさにそんな「続けること」への可能性を示してくれる、力強い証言だった。

「孤独は喫煙・飲酒より危険」──処方すべきは「悩みを話せる人」
(この記事は毎日新聞の有料記事でした。)
「孤独は、喫煙や飲酒よりも健康を害する」。
そんなインパクトのあるタイトルに目を奪われたのが、毎日新聞のWeb記事
「孤独は喫煙・飲酒より危険 医師が処方するのは『悩み話せる人』」
である。
この記事を読んで以来、講演や研修の場では、ほぼ毎回この話題を取り上げている。
なぜなら、孤独が健康に及ぼす影響について「エビデンスをもって」語れるようになったからだ。
「社会的処方(Social Prescribing)」という言葉は、以前から耳にしてはいたものの、どこか概念的でふわっとした印象が拭えなかった。
しかしこの記事は、社会的処方という言葉に現実的な重みを与えてくれた。
「薬ではなく、人とのつながりを処方する」という考え方が、医師の口から語られることに、大きな意味がある。
特に地域福祉に関わる者にとって、この視点は非常に大切だ。
地域とのつながりは、何か特別なイベントや整った制度の中にだけ存在するものではない。
日々の暮らしの中にある“ゆるいつながり”こそが、人を支える基盤になる。
それを見失ってはいけない。
福祉の仕事というと、どうしても制度や枠組みが先行しがちだ。
しかし本来、地域福祉は四角四面に進めるものではない。
人と人が話し合い、手探りで「今、ここに必要な支え」を見つけていく作業なのだ。
全国的に名の知られた“先進地”の取り組みは、たしかにまぶしく見える。
しかし、私たちが目指すべきは、どこかの理想像のコピーではない。
自分たちのフィールドに根ざした、自分たちに合った福祉の形を育てていくことである。
この記事は、その姿勢を強く肯定してくれる後押しになった。
孤独を放置せず、人と人がつながることを“処方”とする。
そのシンプルで人間的な視点が、今後の地域福祉のあり方に一石を投じることを願ってやまない。

コスパ、タイパだけで幸せか 斎藤幸平さんが語る民主主義のかたち
「コスパ、タイパだけで幸せか」。
この問いかけが見出しとなった毎日新聞の記事は、自分にとってただの読書案内以上の意味を持っていた。
記事に登場した斎藤幸平氏の言葉の数々に触れたことをきっかけに、斎藤幸平氏の代表作『人新世の「資本論」』を手に取ることに。
正直に言えば、それまでマルクス主義というと、どこか古くさい、あるいは極端な思想という先入観があった。
しかし、”人新世の「資本論」”を読むと、そのイメージは大きく揺らぐ。
むしろ現代にこそ必要な視座を持った思想として再発見できた気がする。
記事の中にある「右肩上がりを前提とした労働運動」からの脱却という視点には、労働組合運動に関わる自分にとって大きな刺激があった。
賃金アップや労働時間短縮といった目標の追求は、確かに重要である。
しかし、それが「経済成長ありき」の枠組みに無自覚なまま乗っかっているとしたら、運動自体が誰かの豊かさを搾取の上に成り立たせてしまう危険もあるのだろうか。
斎藤氏が語るように、「豊かさ」とは単なる物質的な充足ではない。
労働のあり方も、生活のテンポも、そして人生の意味も、もっと多元的に捉えるべきである。
「効率」や「最短距離」を重視するあまり、私たちは大事な何かを置き去りにしてはいないだろうか。
労働とは、単に生きるための手段である以前に、「どのように生きたいか」という問いと密接につながっている。
だからこそ、組合活動においても、単なる待遇改善だけでなく、人生の豊かさそのものの再定義に関わる視点を持ち続けたいと思う。
「幸せとは、効率よく何かをこなすことではなく、どのような時間を、どのような人と、どのように過ごすか」という問いを忘れないようにしたい。
この記事がくれた問題提起は、日々の活動の中で自分を立ち止まらせ、考え直させてくれる羅針盤である。

ありがとうPocket。
Pocketの魅力は、ただ「あとで読む」だけではなかった。
時間を置いて読み直すことで、当時とは違う角度から物事を見直すことができたし、自分の興味の変遷にも気づくことができた。
Pocketに溜まった記事たちは、単なるリンク集ではなく、自分の思考の足跡だったように思う。
便利なツールはいつか終わる。
しかし、その中に刻まれた記録や、そこから得たものは、自分の中にちゃんと残る。
Pocketさん、長い間ありがとう。
そして、これからはまた別のツールで、自分なりの情報収集を続けていこうと思う。