“表現の自由”について考える。

日本国憲法 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

色々なめぐり合わせで、道警ヤジ排除訴訟(以下ヤジ排除訴訟)や選挙の在り方について考える機会がありました。

いい機会なので、自分の考えを率直にまとめておこうと思います。

あくまで個人の考えなので、

「こういう考え方もあるんだなぁー。へぇー。」

くらいでとらえてもらえると嬉しいです。

ヤジ排除訴訟についてのニュースはこちらをご参照ください。

ヤジ排除訴訟の論点になった、”表現の自由”という点。

Youtubeの該当ニュースのコメント欄を見ていると”公共の福祉”による制限があるのだから、ヤジは違法だろうという風潮が強いように見受けられます。

ただ、国会でもヤジが飛び、ヤジは議会の華と言われて議会の活性化につながるなんて言われている。

国会で許されて、路上で許されない。そんなことはありえないだろう。

公共の福祉に明確な境界線はない。

そう考えると今回の判決は、ヤジや表現の自由、公共の福祉について考えるヒントとなるものだなぁと感じています。

で、ヤジ排除訴訟のYouTubeのコメントもSNSの発信もそうだけど、最近叩いて良さそうな人を叩くみたいな風潮は好かんなぁと思うわけです。

断片的な情報を基に特定の個人への攻撃的な発言。

フェイクニュースだけでなく、ニュースも切り取り方や担当者の書き方や編集次第で私たちに与える印象はガラリと変わります。

自分の正義感、価値観、宗教観が違う人や物事をけなす。

最近の選挙でも、特定の政党をこれでもかと罵倒する人達もSNS上でよく見かけます。

個人の自由なので、

「こういう人もいるんだなぁー。」

と思う反面、すごく悲しい気持ちになるのも事実。

特になんらかのアーティストさんがそういう発信をするってことが、個人的にはすごく悲しい。

文化って色々な考えを持った人たちが、それぞれに影響を与え合って良いものができると思ってて。

特に音楽ってそうなんじゃないかなと。

色々な人達が、色々なジャンルを通って自分の音楽を形成していく。

だからこそ味のある作品ができると思ってます。

自分と考えの違う人を排斥する。それはまさしくジェノサイドです。

フラストレーションがあるなら、行動にうつせばいい。

アーティストなら、曲に落とし込めばいい。ライブにぶつければいい。

数年前、ULTIMALAの練習の最中、海外からの観光客が練習に乱入してきた。

「一緒に酒飲もうぜ!」

って言ってくれたけど練習だったのでお酒が飲めないことを伝えるとエナジードリンクをしこたま買ってくれた彼。

にぎやかな人で、とにかく陽気でお互いたどたどしい英語で話して盛り上がったのを覚えています。

話を聞くと彼はロシアの軍人でした。

ウクライナ進行で、彼はどうなったのか?

彼のその後を知るすべは無いですが、あの時楽しく笑っていた彼は戦地でどんな顔をしているのだろう。

なんて思うと、非常に複雑な気持ちです。

とにかく、甘い考えかもしれないけど、お互いがお互いを尊重しながら、みんなが表現の自由を謳歌できる世の中になればいいなぁ、と思った今日この頃でした。

できればこの甘い考えのまま、争いを知らずに人生を終えたいものです。

とにかく私は、表現の自由を持てあますことなく使いたいなぁと思った今日この頃でした。

なんかここ数日モヤモヤしていたので、ブログにてコソッと毒抜きです。

整理がついてきたので、これから私のフラストレーションをゲームボーイにぶつけようと思います。

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